音楽劇「マハゴニー市の興亡」の感想(1)
9/10の土曜日、KAAT神奈川芸術劇場にて、歌劇「マハゴニー市の興亡」を観てきました。
最近お世話になっている(と一方的に感じている)、ジャズピアニスト・スガダイロー氏が音楽監督を務める、ということで興味があったのですが、演出を担当する白井晃氏とのタッグは、昨年同時期に公演があった「ペール・ギュント」でも好評を博していたとのことですので、否が応にも期待が高まります。
原作は、ベルトルト・ブレヒトによって1930年に公演されたオペラ作品で、後に「三文オペラ」を共作することになるクルト・ヴァイルが作曲を務めています。劇中歌の中でも、「Alabama Song(Moon of Alabama)」は特に有名で、The DoorsやDavid Bowieなどもカバーしています。
今回、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督に就任した白井氏の下、「マハゴニー市民席」という、舞台上に設けられた客席で観劇できるという面白い試みがあったので、そちらで観劇させていただきました。
理由は後述しますが、特に「マハゴニー市民席」での観劇については、何かしらで事前情報を仕入れたほうが、より楽しめると思います。
今後ご鑑賞の方のために、劇のあらすじを含めて、私なりの感想と見所をここに記述しようと思います。
以下、ネタバレ御免。
【劇のあらすじ】
中尾ミエ演じるベグビッグら3人の悪党が、逃亡の末行きついた荒野に町を作る。
男たちから金を巻き上げるための歓楽街としての“網を張る街”・マハゴニー市。
「金さえあれば何でもできる」という評判を聞きつけてやってきたのが、山本耕史演じるジムを含む、アラスカ帰りの4人の樵たち。
マルシア演じる売春婦・ジェニーと出会い、最初のうちは楽しんでいたジムであったが、刺激も自由もないマハゴニー市の毎日に、次第に鬱憤が溜まっていた。
そこに、マハゴニー市にハリケーンと台風が同時に向かっているとの知らせが入り、慌てふためく市民たち。
そんな中、ジムは酒場で「どうせ死んだらおしまいなのだから、好きにすればいい」と歌い、市民たちはこれに同調する。
奇跡的にハリケーンと台風を無傷で免れた一年後、マハゴニー市では「金さえあれば何をしてもいい」という風潮が支配的になる。
次第にゆがみ始めたマハゴニー市の秩序。
その中で、樵仲間のジャックとジョーが命を失い、ジムは所持金をすべて失ってしまう。
無一文となったジムは、ベグビッグらによって裁判にかけられ、最終的に「金を持っていないこと」を罪状として、死刑に処される。
ジムの死後、徐々に衰退し、崩壊していくマハゴニー市。その最後の日まで拝金主義による享楽を求め訴える、市民たちのデモ行進のシーンで幕を閉じる。
【雑感】
無慈悲。ただ無慈悲。
原作では、最後のデモ行進のシーンで、ジャックやジェニーらがジムの死を嘆きながら行進する描写もあったようですが、それが省かれているため、ラストシーンは本当に何の救いも感じられません。
まぁ、原作の時点でこのような演出にならざるを得ないようなストーリーになっていることを考えると、感情移入するタイプの作品ではないのだろうとは思います。
それよりも、総合エンターテインメントとしての華やかな演出に身を委ねるのが、ベストな楽しみ方なのかな、と思います。
主演の山本耕史さん、マルシアさんはもちろん、中尾ミエさんや古谷一行さんらベテラン俳優も、演技はもちろんの事ながら、歌唱もすばらしい。
それに負けないダイナミックな演奏をする(そう、全編生演奏なのです!)スガダイローさん率いるバンドは、ところどころで即興を含んでおり、公演中にも内容が少しずつ変わっていったりもすることと思います。
(僕が観た回では、台風とハリケーンのシーンで、ダイローさんがゴジラのテーマを弾いていらっしゃいました。
途中で引き返したってことは、冷えてなかったんだろうなぁ。。。)
また、若手ダンサーRuuさんによる振り付けにより、これ以上ないほど扇情的な、売春婦役の女優陣のフォーメーションダンスは、X染色体所有者にとって必見です。
思ったより長くなってしまったので、続きは後日。
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ぺそら (木曜日, 15 9月 2016 13:18)
"途中で引き返したって事は冷えてなかったんだろうなぁ"
ああ、そうかもしれませんねー。港、近いし。